日記の開設

 何か新しいものを始めたかったのでブログを書き始めることにする。日記はまともに続けたことがないが浪人時代細々とノートに一週間に一回くらい何故か筆ペンやら万年筆やらで適当なことを書いていたのを思い出した。雨が降ったので憂鬱とか物理ができないが今のような勉強方法で本当にできるようになるのだろうかとか色々読み返す価値もないようなことを書いていたがあのノートもどこかへ行ってしまった。河合塾の教室はいかにも予備校といった感じで高校とも大学とも違う陰気な雰囲気だったような記憶があるが、まぁ改変されたものなのかもしれない。自分がいた場所はそんな陰気な河合塾尾横浜校のなかでも一等陰気な場所だった。入塾テストで碌な結果を残さなかったクズがほとんどといった感じでバカと陰キャがほとんどであった。ちなみに自分はどちらだったかというとバカで陰キャであり、つまり両方だった。理系クラスであるにも関わらず「ベクトルってまじでわからないんだけど」とか「確率は分かるのに場合の数がマジでわからん」とか言っている人間か、黙っていてもそういう人間と同程度の人間ばかりであった。(ちなみに彼らは陰キャではなかったと思う。)もちろんどちらでもない人間もいたが、そういう人間はだいたい京大志望であった。京大クラスがなかったからその受け入れ先がそこだったのだろうか。

 河合塾にも他のほとんどの予備校と同じくラウンジという場所があり、年がら年中独特の弁当のにおいと陽キャの賑わいで覆いつくされていた。何故か自分は防虫剤で妨げられた蟲のようにあそこに近寄ることができず一年もあれば一回はいつか行くことになるだろうと避け続けたまま一度も足を踏み入れることなく浪人生活が終わった。ちなみに今年あの校舎は移転したので自分はもう二度とあのラウンジには入れないわけだ。やったぜ。

 日記ではないがTwitterはほとんど毎日続けている。もっというと意識しなければ一日の間開かないというのは非常に困難である。暇があれば、いや暇がなくてもツイッタバトルを追っているが病気ではない。Twitterは日記ではないのだが、こんなに長く続いている習慣は本当に珍しい。中学の時ニコニコ大百科を鬼のように追っていた時期が一時期あったがそれより長いのではないかと思う。やはり人に成果を見られる習慣というのはモチベーションが続くということだと思う。いや消費と深く結びついているというか単純に面白いものが流れてくるからというのも理由かもしれない。

 ノートに書くのとTwitterに投稿するのとPCに向き合ってじっくり一つの日記をキーボードで打ち込むのと、それぞれが違う傾向を持っていて驚く。まぁ当たり前だが。Twitterは手軽だが当然短いものに限定されるし、TLという他者との関係の中で吟味されるものであるという意識が強く働いているので人の目を強く気にしていると思うし、バラバラになりやすい。あたりまえだけど。

 Twitterに書こうとするとちょっとしたことでも140字を超えて複数のツイートにまたがってしまうが最近は言わなくても自分の中で整理が付けばその時点でどうでもよくなってしまうので複数のツイートをすることがなくなった。少し前は「飛行機が飛ぶ原理はようくわかってないというデマについての考察」とか「面食いがよくわからないのは面食いでない がよくわからないせいだ」みたいなことを複数ツイートで述べていたが、最近はなんだかそういう風に人に伝えるのがどうでもよくなったのかもしれない。あとは前提が増えすぎて自分が言うことを妥当に思ってもらう可能性を作るためだけでもそれなりの文脈が必要だなと考えるようになったからかもしれない。

 生まれてこの方消費にしか夢中になったことがないのでこんな駄文乱文でもひねり出すという活動は少なからずいい影響を生活に与えてくれると信じている。そういうわけで、書いていく。